Fly me to the Iskandar

~私をイスカンダルへ連れてって~

「ヤマト」は自分にとっては特別な存在なんです その1

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今「ヤマト2199」を話題の中心に置いていますが

実は私にとって「ヤマト」は、

いろんな意味で特別な思い入れのある作品なんです。

 

 

その1  

「ヤマト」は自分にとっては、

生まれて初めてアイデンテティが揺さぶられたアニメだった。

 

「アイデンテティ」っていうと、

「自分らしさ」 とか 「自分らしく生きること」 みたいに

ファッション雑誌の見出しのような意味

を思い浮かべられる方が多いと思いますが・・・、

本来は 「自分が自分であること」 というような意味なんですよね。

 

 

たとえば、そうだな・・・

男としての自分、日本人としての自分、人間としての自分・・・

みたいな?

 

そのアイデンティティを揺さぶられるとは・・・

「それでもアナタ男なの!?」とか、

「貴様!それでも日本人か!!」あるいは

「それでも人間か!?」などと罵倒されたりなんかしたときに

ふとおちいる

 

「え!?待てよ」・・・っていう感覚?

「今まで自分は当たり前に男だと思っていたけど

自分は男として何か大きく欠けているところがあるのか?」

みたいな? ね。

「自分は当たり前に日本人だと思っていたけど違うのかい?」

みたいな?

 

 

当時中学1年だった私は

自分のアイデンティティを揺さぶられる 2つの作品 

(厳密に言うと 3つの作品 ということになりますが…)

に ほぼ同時期に出合いました。

 

その一つは小松左京原作の「日本沈没」でした。

そして、もう一つは

TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」っだったのです。

 

 

この2作品は一見まるで別ものように見えますが

実は同じようなコンセプトから成り立っています。

 

日本沈没」では、日本の国土そのものが無くなってしまったら

「日本」は、「日本人」たりうるのか?

ということがテーマとなっており、

「ヤマト」ではその失うべきもの・・・、いや、守るべきものが

「日本」ではなく「地球」そのものに置き代わっています。

 

 

「ヤマト」は、初回オンエアでは不人気だったものの

これを観てイレ込んだ熱狂的なファンの草の根的な活動により

(その中には、今「2199」の総監督をされている出渕さんの姿も)

ついにその3年後には映画化にまで漕ぎつけたのでした。

私は高校生になり、その渦中に居ました。

 

旧作は今見ると作画の乱れ、紙芝居的動画等々ひどい映像です。

ストーリーもご都合主義のかたまりで突っ込みどころ満載;^_^A

当時なぜあんなに盛り上がっていたのか不思議なくらいです。

おそらくスクリーンで表現しきれていなかった部分は

大部分脳内で補っていたのでしょう;^0^A

 

 

時おり、あのブームは何だったんだろうと・・・、

あの、映画館の周りに徹夜組の列が出来るフィーバー振りは

なんだったんだろう・・・と考えることがありましたが、

結局は、自分のアイデンティティーを根底から揺さぶられる

あの独特の世界観に魅かれたのだろうという気がしています。

 

いや、だってそうでしょ?

あの海が干上がって赤茶けた地表が広がる

火星と見間違いそうな地球はどう考えてもヤヴァい。

 

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核の冬なんかとっくに超越してますよね。

そこへさらに遊星爆弾が落下する。

「もういいだろ!やめてくれ!」と思わず叫びたくなってしまいますよね。

大気成分はどうなっているのか?海のない気候って・・・おい!

ここまでダメージ喰らった地球は

それまで見たことありませんでしたからね。