「ヤマト」 でなければ 「ヤマト」 じゃない?
「ヤマト2199」でもヤマトはカタカナで 「ヤマト」 と書かれる。
「大和」 でも 「YAMATO」 でもなく
「ヤマト」 でなければならないわけとは・・・。
「別にどーだっていいじゃん。」と思う向きもあるかもしれない。
でも、そこはあえて言っておこう!
日本のゴジラと
Ameircan Gozzila がまるで別物であったように
「ヤマト」 もやはり
「ヤマト」 でなければならない理由があるのだ。
ナショナリズムというと大袈裟になるし、
国家主義思想に偏るつもりも毛頭ないが、
ただ今から200年後も
日本の文化圏が存在していてほしい。
ただそれだけのことなのだ。
だからと言って 「大和」 では古過ぎる。
「YAMATO」 ではちょっと国際色が出てしまうので
なぜ日本人ばかりで運用するのかという話にもなりかねない。
「ヤマト2199」では、
日本は主権を維持しながら
国際的な協調関係を保っており、
しかも、結構他国にアテにされてい様子が描かれる。
人類が外宇宙に進出するような時代になっても、
日本人が居り、日本文化が受け継がれ、
しかも、日本が外宇宙進出の先駆け・・・
パイオニア的存在になれる。
そういう未来になればいいと思う。
そして地球初の光速突破宇宙船 「ヤマト」 は
そういう日本に帰属していてほしい。
たからあえてカタカナで 「ヤマト」 と書くべきなのだ。
個人的には
USSエンタープライズ号もすばらしい宇宙戦艦だと思うが、
おそらく時系列で見ればヤマトよりずっと未来・・・
異星人との交流が当たり前になり,
星間国家が形成されているような世界・・・。
それがエンタープライズ号の活躍の舞台。
ヤマトと並べては語れない。